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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)191号 判決

原告 甲野太郎

被告 興亜火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 前谷重夫

右訴訟代理人弁護士 和田良一

右訴訟復代理人弁護士 山本孝宏

被告 国

右代表者法務大臣 倉石忠雄

右指定代理人 坪井博邦

〈ほか三名〉

主文

原告の被告両名に対する各請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告の申立

1  被告興亜火災海上保険株式会社は原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和四八年一〇月一七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払い、かつ別紙記載の謝罪文(三号活字を用い、縦二五七ミリ横一八二ミリの紙面に記載したもの)を一週間にわたって飯田橋公共職業安定所に掲示せよ。

2  被告国は原告に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和四九年一月二二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  謝罪文掲示請求以外の部分につき仮執行の宣言

二  被告らの申立

(被告興亜火災海上保険株式会社)

1 原告の被告興亜火災海上保険株式会社に対する請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(被告国)

1 原告の被告国に対する請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告は昭和四四年一〇月頃被告会社の入社試験を受けて同年一一月頃採用内定の通知を受け、昭和四五年四月一日被告会社の首都圏第五営業部新宿直営センター(以下直営センターという)に就職したが、同年九月二八日被告会社に対し辞表を提出した。

2(一)  原告は右就職に先立って、昭和四四年一〇月頃就職に関する説明を受けるために直営センターを訪れた際同所の村田一郎所長から給与は固定給と能率給とからなり、採用当初の三か月間の固定給は月三万円、その後給与の更新があり、また賞与は初年度から年三回各一か月分支給される旨説明を受けた。

(二) また前記入社試験当日には被告会社日本橋本社を訪問し、被告会社首都圏第五営業部の菅田健一課長代理から歩合給について、「長期総合保険の契約をとると一万円もらえる、三日に一件の契約をとると月に八万円ぐらいになる。」との説明を受けた。

(三) 昭和四五年一月中旬直営センターでの採用内定者と被告会社側との昼食会の際、被告会社の高松課長は採用内定者に対し、「君たち給与についての質問はないか」と発言したが、菅田課長代理が「給与についての説明は充分にしてありますので省略したいと思います」と発言し、この点についての質問を封じてしまった。

3  しかし、就職後実際に就業してみると、前記給与についての説明は左記のとおり事実に相違する虚偽の説明であることが判明した。

(一) 長期総合保険についての歩合給は契約した保険の保険金額によって異なるが、当時の平均的な保険金額は約一三〇万円であり、その程度の契約では歩合給は一三〇〇円程度にすぎず、一万円もの歩合給は保険金額一〇〇〇万円という当時としては例外的な契約の場合であった。

(二) したがって一年満期の場合は保険金額一三〇万円の普通火災保険契約の歩合給は約一三〇円にすぎず、また自動車保険の場合も責任保険に任意保険を上積みする契約でも歩合給は一〇〇〇円程度であったから、三日に一件の契約をとれば一か月の歩合給が八万円程度になるとの説明は事実に相違する。

(三) 賞与についても昭和四五年六月に支給されたのは五〇〇〇円にすぎなかった。

4(一)  被告会社は昭和四五年四月二日から地方の会社寮において新入社員に対する業務研修を実施して賃金規定を配布したが、原告は風邪のため右研修には参加しなかったので賃金規定を受領できなかった。

(二) 右研修後の同月六日頃直営センターにおいて、村田所長は新入社員らに対し給与の算出方法や新入社員の身分などについて説明をしたが、その際原告は、賃金について不審をいただき前記説明との相違をたしかめるため賃金規定を交付するように要求したのに対し、村田所長は余部がないと称してこれを拒んだ。その時はその場にいた同僚新入社員が原告に賃金規定を供与したが、さらに後日、被告会社が各大学就職部に配布したと称する書類について原告が詰問した際、村田所長は原告に賃金規定を交付した。

(三) 昭和四五年四月中旬頃、四月分の給与支払日が五月一〇日であることがわかり、新入社員らから「労基法違反である。」との抗議が出たため、被告会社は給与を一か月につき五〇〇〇円値上げし、四月分の給与の一部を前借することを認めた。

(四) 原告は前記のように給与に関する入社前の説明が実際と相違しているため労働契約書の提出を拒み、飯田橋労働基準監督署に右事実を訴えた。村田所長は召喚されて同署に出頭したのち原告に対し、「もし賃金規定を入社前に見せなければいけなかったのであるなら個人として詫状を書く。」と述べた。

(五) 同年七月頃被告会社首都圏第五営業部の大橋次長は原告に対し、「保険募集取締法により労働契約書未提出では保険募集できない。」旨告げて労働契約書の提出を求め、原告が「賃金規定を含む労働契約を承服したときに提出するのが本筋である。」旨反論して提出を拒否すると、大橋は「裁判やるつもりならやってよいが、こちらは専門の弁護士をつける。君もまた別の会社へ行きたいだろう。会社同志の間では守ることがあって、そのとき会社としてはやるべきことはやる。」と述べた。

また同じころ村田所長は原告に対し、同法により保険募集ができない以上保険料領収書用紙をもっていても仕方がないからと言ってこれを会社に返却するように求めたが、原告はこれも拒否した。

(六) 以上のように被告会社担当者らは、原告の要求にもかかわらず賃金規定の交付を拒む態度をとり給与に関する釈明を行なわないまま原告に就労を強制しようとし、これに従わない原告に対し前記(五)のとおり労働契約書の提出を強要するなど解雇の口実を作り始めたため、原告としても保険募集ができない以上出社してもすることがないので退職を余儀なくされ前記のとおり辞表を提出した。

5(一)  原告は被告会社に対し、同年一〇月一六日失業保険金を受給するために必要な失業保険被保険者離職票(以下離職票という)を交付するよう電話で請求したところ、被告会社は同日付で所定事項未記入の必要書類を原告に送付し、原告の署名捺印をして返送するよう求めてきた。

(二) 原告は、同月一九日被告会社に対して、所定事項欄に記入する内容を問い詰めたところ、離職理由欄には「業績不振による任意退職」と記載する予定であることが判明した。

(三) 原告が同月二〇日被告会社において人事部内務課長代理の渡邊政照に面会し右離職理由は納得できない旨抗議したところ、渡邊は、離職理由を「業績不振による任意退職」と記載すれば失業保険金が早く支給されるからであると答えたうえ、次には書類の離職理由欄に懲戒解雇の意味を有する「事業主の勧奨等による任意退職」と記載して原告に確認印を押すよう求めたが、原告はこの離職理由にも不満を述べ、押印を拒否した。

(四) 原告は同年一一月四日被告会社に赴いて強引に渡邊と面会し、失業保険被保険者離職証明書(以下離職証明書という)用紙に被告会社が先に捺印して原告に交付するよう求めたが、渡邊は、これに答えず、早く保険金が支給されるからと言って原告の捺印を求めるのみであった。

(五) 同月九日原告は内容証明郵便で被告会社に対し、「事業主の勧奨等による任意退職」なる退職理由の根拠を示すよう要求したところ、被告会社から、同月二六日に飯田橋公共職業安定所において同所担当官立会のもとに協議して失業保険被保険者離職票の交付手続をしたい旨の申し入れがあり、これにより原告と渡邊とが同年一一月二六日飯田橋公共職業安定所(以下飯田橋職安という)において同所の門田得喪第二係長の立会の下に面会した。その際原告は、被告会社から飯田橋職安にすでに提出受理されていた原告についての失業保険被保険者資格取得届(以下資格取得届という)を見た。

(六) 右資格取得届は被告会社が原告不知の間に偽造した原告姓の印鑑又は同年六月頃原告が紛失した印鑑を押捺して作成したものであり、同年一一月二六日の飯田橋職安における面会の際、原告は右偽造を知り、誰が押捺したかを渡邊に問いただしたが、渡邊が答えなかったので、原告は被告会社との話合いをやめて飯田橋職安所長から直接離職票の交付を受けることに決め、被告会社に対してその手続に必要な離職証明書を交付するよう三回にわたり内容証明郵便で請求したが、被告会社は同年一二月七日付及び一五日付の各返信で、すでに飯田橋職安に提出し受理されたから同職安から交付を受けられたい旨答えただけであった。

(七) その後飯田橋職安から出頭を求められ、原告は同年一二月二五日同職安に出頭して門田係長と面接したが、その際原告は同係長から離職証明書を掠め盗るという事態になってしまった。また右面接の際、原告は、原告の失業保険被保険者資格喪失届(原告の前記請求に対する返信において被告が同年一一月二六日提出し同職安が正式に受理した旨明言したもの)の届出年月日が空欄のままで飯田橋職安の受理印の押捺もないことを発見し、その旨指摘したところ、門田は、届出年月日欄には原告の要求に応じて同年一一月二六日の日付を補充記入したが、受理印未押捺の指摘には耳を傾けず、原告の非難に対し、逆に離職証明書の返還を求めた。原告が居合わせた飯田橋労働基準監督署員に対し離職証明書の原告保持を適法と定める条文を示した結果、門田は返還要求を止め原告に対し「何でも書くから」と述べて失業保険金受給のことを話し出したが、原告は、前記受理印がないままでは納得ができず、再び受理印の押捺を要求した。

(八) その後も前記資格喪失届に受理印が押捺された様子はなかったが、失業保険金の受給が遅延するため、原告は確認請求のため昭和四六年四月九日飯田橋職安に赴き、門田係長に対し右受理印押捺を要求するとともに失業保険被保険者資格喪失に関する確認請求書を一方的に読み上げ、右資格喪失届記載の離職理由(勧奨退職)については認めない旨の留保付きで右喪失届に捺印する旨告げたところ、他の飯田橋職安職員の助言があったため、原告の捺印を要しないこととなり、門田は右喪失届に受理印を押捺して離職票を原告に交付した。

(九) 以上の経緯により、通常離職後一〇日程度で完了する失業保険金の交付手続が原告については著しく遅延し、原告は離職後半年以上経過した昭和四六年四月九日に至ってようやく飯田橋職安から離職票の交付を受け、現実に失業保険金を受領したのは同年五月である。

6  以上の経過で、原告は、社会人として第一歩を踏み出すにあたって被告会社従業員らの不法行為により職場の選択を誤り、さらに辞職を余儀なくされたうえ、退職後は、白紙の失業保険受給手続書類を送付してきたり、慣例上懲戒免職ないし非行者の退職を意味する「勧奨退職」なる離職理由を付したりした被告会社従業員の不法行為により失業保険金の受給が著しく遅れたものであるから、使用者たる被告会社は、右各不法行為によって原告が被った精神的損害を償うため、慰藉料として金二〇〇万円を原告に支払うべき義務があるほか、右離職理由を付した被告会社の理不尽な処置に苦しむ原告の名誉を回復すべき義務がある。

7  被告国の公務員である飯田橋職安の担当官門田係長は、被告会社の違法な失業保険手続を是正指導すべき職務があるのに、これを怠り、被告会社に迎合して受理してはならない右手続書類を被告会社から預かり保持し、被告会社の右手続に違法がなかったように改ざんしようと謀り、のみならず原告の要求を拒否して法に定められた失業保険金給付手続の執行をせず原告の保険金受給を半年以上も遅延させたものである。これによる原告の精神的損害につき被告国は原告に対し右精神的損害を賠償するため慰藉料として金五〇万円を支払うべき義務がある。

8  よって、原告は、被告会社に対し慰藉料金二〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四八年一〇月一七日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるほか謝罪文の掲示を求め、被告国に対し慰藉料金五〇万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四九年一月二二日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告会社の答弁

1  請求原因第1項の事実は認める。

2(一)  同第2項(一)の事実中、原告が昭和四四年一〇月直営センターを訪れ、村田所長から給与及び労働条件に関する説明を受けたことは認めるが、賞与の支給条件に関する説明内容は否認する。

被告会社は、各種損害保険事業を営む者であるが、代理店販売方式とは別に直接被告会社が保険募集を行う直接販売方式の募集活動に従事する従業員(直営社員)の指導的役割を果たし得る社員を育成するために昭和四二年九月に新宿直営センターを開設したが、一般の直営社員と区別し「直営社員(特)」と称する右直営センター勤務の従業員を募集するため、昭和四四年六月及び九月の二度にわたり都内主要大学就職部に対し「戸別訪問による保険募集専門社員」の推薦依頼をした。

その求人要領において被告会社が明示した求人条件は、給与については(1)初任給月収三万円、二年度以降は固定給プラス能率給、(2)賞与は初年度酒肴料、二年度以降三か月以上とし、職種については営業(戸別訪問による契約募集)とするものであった。

原告が同年一〇月一四日直営センターを訪れた際、所長村田一郎は原告に対し、右の業務内容、給与等につき説明したが、原告主張のような賞与支給条件は、賃金規定にも定められておらず村田が原告に告げたことはない。

(二) 同項(二)の事実中、原告が被告会社を訪れ菅田健一課長代理から給与に関する説明を受けたことは認めるが、能率給(原告が「歩合給」と主張するもの、以下同じ)の支給条件に関する説明内容は争う。

原告は昭和四四年一〇月一六日頃菅田と右面談をしたが、その際菅田は、能率給について、最初一年間の見習期間に支給される第二能率給の計算方法を保険種目別に具体例を示して説明し(たとえば、長期総合保険の場合、保険金額一〇〇万円なら年払保険料は約一万円で能率給はその一〇%に当たる約一〇〇〇円となり、保険金額一〇〇〇万円なら能率給は約一万円となることなど)、また見習期間終了後支給される第一能率給は、前期六か月間の保険料の一定割合が次期六か月間支給され、損害保険では一年契約が多いが日常顧客管理を十分に行えば翌年の満期時には顧客の七、八割の保険料が更改契約として残り第一能率給の計算基礎となる有利さがあること、入社当初は新規契約を獲得しなければ一定の賃金が得られず給与面で苦しいが、数年努力を重ねれば、更改契約により固定客が累積されるので新規契約が少なくても固定的な給与が確保されるようになり、二、三日に一件の新規契約を獲得する程度でも月に七、八万円の給与が支給される実情にあることを説明したのであり(当時の同種社員の平均的収入は月七万円程度であったから見習期間終了の時点で標準的稼働があれば同程度の収入が見込まれる)、保険金額や保険料と無関係な原告主張のような内容の説明をしたことはない。

被告会社は、昭和四四年一〇月一七日に採用試験を実施したが、その試験開始に先立ち、応募者に対して業務内容と給与条件の説明をした。

被告会社は、同月二七日原告を含む試験合格者を召集し、仕事の厳しさを説明し、耐える自信のない者は入社を思いとどまるよう告げるとともに、熟考のうえ後日採用内定「承諾書」を提出するよう伝えたところ、原告は同年一一月八日に右「承諾書」を提出した。

(三) 同項(三)の事実中、昭和四五年一月一六日被告会社主催の採用内定者との昼食会(懇談会)があり、被告会社から高松課長及び菅田課長代理が出席したことは認めるが、右両名の発言内容は争う。

右懇談会の際、被告会社は再度、黒板等を用いて給与に関する詳細な説明を行った。

3  請求原因第3項は争う。

4(一)  同第4項(一)の事実は認める。ただし原告不参加の理由は争う。

研修は昭和四五年四月二日から四日までの間長野県所在の会社寮白林荘で実施し、就業規則、賃金規程に関する教育も行った。

(二) 同項(二)の事実中、原告が被告会社から賃金規定を受領したことのみ認め、その余の事実は争う。なお、村田所長は前記研修に参加しなかった原告に対し、昭和四五年四月六日に研修の内容を個別に説明しようとしたが、原告は就業規則や賃金規程などについては読めばわかると言って、右説明を受けることを拒否した。

(三) 同項(三)の事実中、被告会社が原告ら新入社員に対し、昭和四五年五月九日、月例賃金中の本給固定給分として金三万五〇〇〇円を支給したことは認めるが、その余の事実は争う。

なお、原告は同年四月七日の入社式及び辞令交付以降三か月間の教育研修期間並びに九か月間の見習実習期間に入ったが、右期間中にも研修並びに見習の一環として実際に保険募集に従事するため、被告会社はその間の交通費等募集経費の負担分として原告ら新入社員に対して金五〇〇〇円を別途支給することとし、かつ見習期間中の本給を三万五〇〇〇円に増額した。

(四) 同項(四)の事実中、村田所長が飯田橋労働基準監督署の要請に応じて同署に赴いたことは認めるが、その余の事実は争う。

(五) 同項(五)の事実中、大橋次長が原告に対して労働契約書の提出を求めたが原告がこれに応じなかったこと、及び村田所長が原告に対して領収証の返却を求めたことは認めるが、その余の事実は争う。

(六) 同項(六)の事実は争う。

なお、被告会社は昭和四五年四月一日原告ら新入社員に対して「労働契約書」、「身元保証書」、「自己紹介票」などの入社書類用紙を交付して右各書類の作成方法を説明するとともに一か月以内に提出するように指示し、同年五月初旬に右各書類の提出を求めたが、原告はその父甲野一郎の印鑑証明書を提出したのみでその他の書類を提出しなかった。

原告は同月中旬頃から「仕事が楽ではない」「募集に行くのは疲れる」「川越の自宅から新宿まで午前九時までに来るのは楽ではない」などと苦情を述べ始めたが、それ以前は何ら被告会社に対して苦情を述べたことはなくごく普通の状態で勤務していた。

被告会社は原告に対して同年六月二九日頃賃金規程一五条に基づき、同年七月分以降の見習実習期間中の賃金を決定するための協議をするよう申入れたが、原告は理由を明らかにしないままこれを拒否したため、原告については新賃金が決定されないままになった。

被告会社は同年七月中旬から下旬にかけて継続的に話し合ったところ、原告は、同月三一日に至って初めて村田所長に対し「入社前の説明と実際とが違う」と述べて被告会社に対する不満理由を明らかにしたが、具体的な事由は述べず、被告会社が新賃金決定協議に応ずるよう再三説得を試みたのに対し、原告は「弁護士から口止めされているから新賃金は会社で勝手に決めてくれ」「この数日裁判費用集めをやっているが、現在二三万円借りられた」「解雇されれば訴訟し易くなる」などと言って応じなかった。

その後も被告会社は原告との間で保険の仕事を続けてゆく意思があるかどうかなどについて話し合ったが、同年八月一〇日に至り、原告の新賃金決定の協議及び入社書類の提出に応じない意思が固いことから、退職してもらうことになった旨を原告に伝え依願退職を勧めた。

そして、かねて原告から相談を受けていた模様の鈴木圭一郎弁護士より同年八月中旬及び九月上旬被告会社に対し、依願退職手続をとるよう原告を説得するから解雇しないでほしい旨の連絡があり、同月二八日に原告から退職届の提出があったのである。

5(一)  請求原因第5項(一)の事実は認める。(未記入の事項は後日補充することとして急いで送付したのである。)

(二) 同項(二)の事実は争う。昭和四五年一〇月一九日原告から電話があり、その質問に対し被告会社社会保険担当者鶴見義彦が離職理由を「自己都合退職」とする予定であると回答し、原告がとにかく早く保険金を受領したい旨述べたので、鶴見は法定の期間給付制限を避ける考慮から、早く保険金を受領したいのならば、便宜的に「業績不振による退職」とする方がよいのではないかと意見を述べたのである。

(三) 同項(三)の事実中、原告が昭和四五年一〇月二〇日に渡邊課長代理と面談し、その際渡邊が原告に対し、退職理由を「事業主の勧奨等による任意退職」としたい旨述べたことは認めるが、その余は争う。同日被告会社は原告に対し、原告が退職するに至った経緯を最も正確に示す「事業主の勧奨等による任意退職」を離職理由とする旨原告に伝え、離職票等用紙に会社記載事項を記入のうえ原告にこれを交付した。(なお、離職理由を「事業主の勧奨等による任意退職」とした場合も失業保険法二二条に定める給付制限の適用は受けない。)

(四) 同項(四)の事実中、原告と渡邊とが昭和四五年一一月四日に面談したことは認めるが、その余の事実は争う。ただし、被告会社から原告に対し、手続を進めるため離職票等に押印して早く提出してもらいたい旨告げて手続書類の提出を促したことはある。

(五) 同項(五)の事実は認める。

同年一一月一一日原告から被告会社に対し、会社記載の離職理由は承認せず被告会社から交付された離職票等は返送しない旨通知があった。同月一三日被告会社は原告に対し所轄公共職業安定所係官立会のもとに解決したい旨提案し、同月二四日原告から了承した旨連絡があり、同月二六日飯田橋職安で同職安係官を交じえ三者で協議したのである。

(六) 同項(六)の事実中、原告が内容証明郵便で被告会社に対して離職証明書の交付を求めたこと、及び被告会社が同年一二月七日付及び一五日付各文書により、飯田橋職安から受領するよう回答したことは認めるが、その余の事実は争う。

原告主張の資格取得届は、原告入社の際、関係書類のひとつとして作成され原告が捺印したものである。

前記一一月二六日の三者協議の際、原告は離職理由不承認を主張し離職票交付の遅延を非難した。被告会社は飯田橋職安の助言に基き離職理由を変更してもよい旨申し入れたが、原告は右申し入れをも拒否し、ただ離職票の交付を要求するのみであり、その際原告は、同職安にあった前記資格取得届を見て、押捺の原告印を偽造であると主張し証拠物件であると称して右資格取得届を持ち帰るに至った。

一方、被告会社は、この日新たに離職票等手続書類を作成し、原告の確認印の押捺のないまま同職安に提出した。

(七) 同項(七)の事実は不知。

(八) 同項(八)の事実は不知。

(九) 同項(九)は争う。

被告会社では従前から管轄職業安定所の指導の下に離職票交付の手続を次のような事務手順で行なってきた。

すなわち、離職者が出たときは会社において①資格喪失届、②失業保険被保険者資格喪失確認通知書、③離職証明書(事業主控)、④離職証明書、⑤離職票(但し③ないし⑤の三枚は複写方式で一組となっている。)の各用紙の会社記載事項欄を記入したのち、離職者の確認印をとり、これを管轄職業安定所に提出する。職業安定所において関係書類の受理確認をしたのち、被告会社に②③⑤の書類が返却されるので、被告会社はそのうち⑤の離職票を離職者に交付する。

被告会社は原告の場合についても右と同様の事務処理を行うべく、原告に協力を求め、昭和四五年一〇月二〇日には前記手続書類の被告会社記載事項欄に記入のうえ、原告に対し所定の確認印を押捺するよう求めたが、原告は離職理由に不満を述べて押捺を拒否した。

被告会社は原告の不満を即時解決するため同年一一月二六日に前記のとおり三者協議の機会を作ったが、原告は協力的な態度を示さなかった。

そこで被告会社は同日右関係書類をすべて飯田橋職安に提出し、原告が同所に出頭しさえすればいつでも同所から直接に離職票の交付を受けられるようにしたのである。

しかるに原告は同年一二月四日、同月一四日及び同月二一日の三回にわたって内容証明郵便で被告会社に対して離職証明書を交付するよう求めてきた。しかし、被告会社は前記のとおり同人の離職証明書を含め関係書類を飯田橋職安に提出済であったから、別の離職証明書を新たに発給することなく、同月七日及び一五日の二回にわたって原告に対し、原告が最終的に交付を望んでいる離職票は飯田橋職安の窓口に出頭すれば交付が受けられる旨通知したのである。

6  請求原因第6項は争う。

被告会社は、原告を採用するに当たり、賃金、賞与等に関する説明を十分に行ったものであり、退職後は、失業保険金受領に関する手続を速かに行うべく誠意をもって対処してきた。原告の退職原因及び保険金受給手続遅延の原因は、すべて原告において作り出したものである。

三  被告国の答弁

1  請求原因第1項の事実中、原告が昭和四五年四月一日被告会社に就職し、同年九月二八日に退職したことは認めるが、その余の事実は不知。

2  同第2項ないし第4項の事実は不知。

3(一)  同第5項(一)ないし(四)の事実は不知。

(二) 同項(五)の事実中、昭和四五年一一月二六日被告会社担当者渡邊政照及び原告が飯田橋職安に来所し門田係長と面会し、原告が資格取得届を見たことは認めるが、その余の事実は不知。

(三) 同項(六)の事実中、被告会社から昭和四五年六月四日原告にかかる右資格取得届を飯田橋職安に提出し同日受理されたこと、同年一一月二六日の面会の際右資格取得届の原告印を偽造又は盗用されたものであると原告が発言したことは認めるが、その余は不知。

(四) 同項(七)の事実中、昭和四五年一一月二六日被告会社が飯田橋職安に提出した資格喪失届は届出年月日が空欄のままであったこと、門田係長が確認印(受理印)を押捺しないままこれを預り保管したこと、飯田橋職安の求めにより同年一二月二六日(原告は二五日と主張するが誤りである。)原告が同職安に来庁して門田係長と面接し、その際、原告が離職証明書を(二部、その他同時に離職票も)掠め盗って持ち去ったこと、原告の指摘により門田係長が資格喪失届の届出年月日欄に同年一一月二六日の日付を記入したこと、原告が門田に対し確認印を押捺しないことを非難し押捺を要求したことは認めるが、その余は不知。

(五) 同項(八)の事実中、昭和四六年四月九日原告が飯田橋職安に来庁し被保険者資格喪失に関する確認請求書を読み上げたこと、同日まで資格喪失届が確認されないまま門田係長の手許に保管されていたこと、同職安の他の職員(山本得喪第一係長)が門田係長に対し本人が離職票交付を求めているなら受理印を押印して交付してよい旨助言したこと、同日離職証明書(同職安分)に原告の署名捺印をとれないまま門田係長が資格喪失届を受理して離職票を原告に交付したことは認めるが、その余は不知。

5  請求原因第7項は争う。

本件当時、失業保険法の適用を受ける事業主は、その雇用する労働者が退職した場合、その者が退職によって失業保険の被保険者たる資格を喪失した日から一〇日以内に資格喪失届、離職証明書二通(職業安定所分及び適用事業所分)並びに離職票用紙を所轄の職業安定所長に提出することを要し、右届出を受けた職業安定所長は右各書類の記載事項や所定箇所への適用事業所及び離職者の署名捺印の有無を確めたうえ、これを受理し、離職票を離職者に交付するものとされている。

本件の離職者である原告は、離職証明書に必要事項が記載されていなかったこと及び離職理由が異なることを理由に、被告会社が飯田橋職安に前記手続書類を提出するに必要な原告の署名捺印を拒否していたものであるが、同職安の担当官である門田係長は、被告会社から二回にわたり取扱いについての電話照会を受け、離職証明書の必要事項全部を事実に基き記載したうえ署名捺印を求めるよう回答するなど、その都度適切な指示をするとともに、離職理由について双方の意見を聴くため、昭和四五年一一月二六日に被告会社担当者及び原告を飯田橋職安に出頭させて面接し(第一回)、さらに同年一二月二六日原告のみを出頭させて面接した(第二回)。

しかし、原告はいずれの機会にも雇用条件の相違点のみを主張して問題点である離職理由については言及しなかった。

そのうえ原告は、第一回面接の際、離職証明書は一切認めないと言明し、門田係長の制止を振り切って公文書である同職安備え付けの原告関係の被保険者台帳を持ち去ったため、同係長は、被告会社が持参した同社備え付けの賃金台帳と離職証明書を照合できたにとどまった。

そこで門田係長は原告と被告会社間に話合いがつき、原告から申出があったときには直ちに資格喪失届を受理して原告に離職票を交付できるよう、原告の利益を慮って、被告会社が持参した資格喪失届、離職証明書用紙二通(同職安分及び被告会社分)及び離職票用紙を一時預り保管した。

同年一二月三日門田係長は、原告の代理人であった鈴木圭一郎弁護士に被保険者台帳の返還を要請し、その後重ねて同弁護士に返還方を要請したが、同弁護士から今後本件については一切関与しない旨の回答を受けた。

その後、原告は門田係長以外の職員に右被保険者台帳を返還した模様で、右台帳は同職安所定の格納箱に入れられてあった。

さらに原告は、第二回面接の際には、門田係長が会社から預り保管していた前記離職証明書用紙二通及び離職票用紙を取り上げ持去った。原告は昭和四六年四月九日飯田橋職安に来庁し右離職証明書及び離職票用紙を提出返還したが、飯田橋職安としてはそれまでの間は右各書類がないために本件資格喪失届を受理することも、離職票を原告に交付することもできなかったものである。

右同日門田係長は、これ以上の事情聴取は困難と考え、資格喪失届を受理し、離職理由を離職証明書記載の「事業主の勧奨等による任意退職」により区分3C「正当な理由のある被保険者の都合による退職」に当たると判定してその旨の離職票を作成し、離職証明書の所定欄に原告の署名捺印を得られないまま離職票を原告に交付するとともに、至急川越公共職業安定所に受給手続をとり離職理由についての異議はその時に申立てるよう教示した。(その後原告は、同安定所に対し異議を申立てることなく受給手続をして失業保険金を受領している。)

よって、原告に対する失業保険金給付手続が遅れたとしても、被告国にはその責任を負うべき理由がない。

第三証拠《省略》

理由

一  原告が昭和四五年四月一日被告会社に就職し、同年九月二八日同会社を退職したことについては当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》を総合すると、次の各事実を認めることができ、《証拠省略》中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

各種損害保険事業を営む被告会社の保険募集方式には、代理店による募集方式とは別に、被告会社が直接に保険募集をして顧客を開拓する直営方式があり、被告会社は、直営社員なる名称の従業員を雇用して戸別訪問による契約勧誘に従事させていたが、直営社員のうちその中核的存在となる従業員(直営社員(特)と称する)を大学新規卒業者から採用することとし、昭和四五年三月卒業予定大学生を対象として、昭和四四年六月頃第一回募集をし、さらに同年九月頃追加募集をすることとして慶応義塾大学を含む主要大学に求人要領(丙第四号証)を配布し保険募集専門社員の推せんを依頼した。

原告は、昭和四五年三月慶応義塾大学商学部を卒業したものであるが、その前年に就職のため他のいくつかの会社の入社試験を受け協調性に欠けるといわれて全部不合格となっていた折、同大学に掲示された被告会社の前記求人要領を見、また第一回募集に応募受験した学友から聞いて、戸別訪問による保険勧誘従事者を募集するものであることを知り、自己の性格をも考慮したうえ、応募しようと考えた。

右求人要領においては、給与につき、初任月収三万円、二年目からは固定給プラス能率給、賞与としては初年度は酒肴料、次年度(求人要領には「年年度と」印刷されているが他の記事との対比から次年度の誤植であることが容易に判断できる)からは三か月以上、及び通勤費全額会社負担の旨が表示されていた。

原告は昭和四四年一〇月一四日頃、直営社員(特)が配置される被告会社首都圏第五営業部新宿直営センター事務所を訪れ、同センター所長の村田一郎と面会し、同人は原告に対し、前記の職種業務内容のほか、最初の一年間は見習期間であり当初の月給は三万円であるが保険募集の実績により三か月毎に金額が変ること及び賞与は酒肴料が支給されることなどの説明をした。

次いで原告は同月一六日頃、直営センターを管轄する首都圏第五営業部の本部事務所を訪れ、担当の課長代理菅田健一に面接し説明を受けた。菅田は、直営社員の業務内容や一般事務職員との身分の差異を説明したほか、初年度の見習期間中に本給に付加して支給される能率給(第二能率給)の計算方法を具体例を用いて詳細に説明し、見習期間が終了して正式採用後の能率給(第一能率給)の仕組みを現に勤務中の直営社員への概略の支給例を用いて説明し、日常の顧客管理の努力により一年契約の損害保険の顧客が満期に再契約を継続するようになって固定客化すれば募集実績を基礎として計算される第一能率給の仕組みのため二、三日に一件程度の新規契約獲得により、当時の平均的給与額と考えられた月七、八万円程度の収入が可能である旨を告げた。

原告は、同月一七日実施された採用試験を受けて合格し、被告会社の求めに応じ同年一一月八日承諾書を提出して直営社員(特)に採用が内定した。

右採用試験の当日、試験開始に先立ち受験者全員に対し村田所長から採用後の直営社員(特)の身分及び給与の関係につき、当初一年間の見習期間のうち最初の三か月間は研修期間で、その終了の時点で過去三か月間の保険募集実績(挙績)及び募集見込客を勘案し次の三か月間の募集目標を個々に所長と相談してその三か月間の本給額を定め、これを三か月毎に繰り返し見習期間終了に当たり一定の挙績に達している場合に正式採用になる旨などを説明した。同年一〇月二〇日頃合格発表が行われ、その後同月二七日被告会社は合格者を集めて首都圏第五営業部長から仕事の厳しさを告げたうえ、採用内定の承諾書を後日提出するよう求めた。

昭和四五年一月一六日被告会社は、先輩社員との懇談の昼食会を開き入社後の職場を理解させるため、原告を含む採用内定者五名を直営センターに集めたが、その際、昼食会に先立ち本社から高松課長と菅田とが出席して採用内定者から質問を出させ高松が回答し、再度給与等について説明した。

(なお、右認定事実のうち、原告が直営センター事務所を訪れ村田所長から給与等に関する説明を受けたこと、被告会社を訪れ菅田課長代理から給与に関する説明を受けたこと、及び昼食会があり高松課長と菅田が出席したことは、原告と被告会社との間において争いがない。)

三  しかし、原告入社前に村田所長及び菅田課長代理ら被告会社職員が給与に関し前認定の説明内容と異なる原告主張の内容の説明をしたり、ことさら原告主張のように採用内定者からの質問を封じたりしたこと並びに前認定の説明内容が虚偽であることは、これを認めるに足る証拠はなく、原告主張に沿う原告本人尋問中の供述はにわかに措信しがたく、他に右に関する原告主張事実を認めるに足る証拠はない。

したがって、給与の説明等に関する入社に至るまでの不法行為をいう原告の主張は理由がない。

四  被告会社が昭和四五年四月二日から同月四日まで会社寮において新入直営社員に対し業務研修を実施してその際賃金規定を配布したこと、原告は右研修に参加しなかったため、後日(その時期につき争いがある)原告勤務の直営センター村田所長から賃金規程の交付を受けたこと、新入直営社員に対する給与が当初の三万円から三万五〇〇〇円に増額されたこと、村田所長が飯田橋労働基準監督署から求められて同署に赴いたこと、大橋次長が原告に対して労働契約書の提出を求めたが原告はこれに応じなかったこと、及び村田所長が原告に対し、被告会社から原告に交付されていた保険募集に関する領収書の返却を求めたことについては、原告と被告会社との間に争いがない。

五  《証拠省略》を総合すると次の各事実を認めることができ、《証拠省略》中右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  被告会社は昭和四五年四月一日原告ら新入直営社員に対して、入社に伴う手続の一環として労働契約書と身元保証書の用紙を交付し、右各書類を一か月以内に作成して身元保証人の印鑑証明書とともに被告会社に提出するように指示したが、原告は父親の印鑑証明書を提出したのみで、他の書類は被告会社の催促にもかかわらず、結局提出しなかった。

(二)  同月二日から四日までは長野県にある被告会社寮白林荘で前記研修が実施され、参加した他の新入直営社員に対し、資料を交付し業務内容の講義がなされたほか、就業規則及び賃金規程が交付されてこれに関する教育もなされたが、同月五日(日曜日)の休日をおいて翌六日村田所長は右研修に参加しなかった原告に対し、右賃金規程を含む研修資料一式を交付したうえ、暫くの間毎日勤務終了後一時間程度右研修の内容を説明したいので居残って聞くようにと申し入れたところ、原告は読めばわかると答えてこれに応じなかった。

(三)  原告は、朝の出勤時に遅刻が多いながらも勤務を続けてきたが、昭和四五年五月中旬頃から「仕事が楽ではない」「募集に行くのは疲れる」「川越の自宅から新宿まで午前九時までに来るのは楽ではない」などと苦情を述べ始めた。

(四)  被告会社は、原告に対して昭和四五年六月末頃、研修期間終了後の同年七月分以降の賃金を決定するための協議をするように村田所長から申入れたが、原告は理由を明らかにしないままこれを拒否し、同年七月末になって原告は村田所長に対して「入社前の説明と実際とが違う」と述べ、はじめて被告会社に対する不満を明らかにしたが具体的な問題点は述べず、「本給を決めたければ会社で勝手に決めてくれ」、「訴訟をするので俺は友達から全部で二三万ぐらいお金をかき集めた」、「鈴木弁護士から口止めされているのでこれ以上の答えはできない」などと述べた。

(五)  被告会社は、原告が前記のように労働契約書等を提出せず賃金決定の話合いにも応じないし、勤務成績も良くなく、何度注意しても毎日のように遅刻するなど勤務態度も良くなかったため、昭和四五年八月上旬頃、原告に対して退職勧告をすることに決め、村田所長から原告に対して辞表を提出するよう申し入れ、退職を勧奨した。

(六)  原告は、直営社員(特)に採用されて被告会社に就職したものの、いわばセールスマンの職に満足できず、早くから勤務を続ける意慾を失い、他の会社を探して就職するまでの一時的な職場として稼働する気持であったため、雇用契約に拘束されることを嫌い、入社当初に被告会社から交付された「就業規則、給与規程等の諸規程に定めた労働条件をもって雇用する」旨の文言がある所定用紙の労働契約書を提出すれば雇用契約に拘束されることになると考えおそれて労働契約書等を提出しなかったものであるが、上司から、保険募集取締法の関係で労働契約書を提出しなければ仕事をすることができない旨告げられ、また前記のように退職を勧告されたため、同年八月末頃被告会社を退職すべく決意し、同年九月二八日辞職届を提出して退職した。

六  以上の各事実に照らすと、被告会社が原告に対して労働契約書の提出を求めたのも退職を勧告したのも正当であり、原告が被告会社を退職するに至った経緯において被告会社従業員らに原告主張の不法行為があったことは証拠上認めることができない。

七  《証拠省略》によると、所轄の飯田橋職安においては、離職者が失業保険金受給のために離職票を必要とする場合、通常次のような手続を要求し、被告会社もこれに従って処理していたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

すなわち、まず雇用事業主において①失業保険被保険者資格喪失届②失業保険被保険者資格喪失確認通知書の二枚一組及び③離職証明書(事業主控)④離職証明書⑤離職票の三枚一組の各複写式用紙に所定事項を記入したうえ、右①、②及び④には離職者から確認印の押捺を受けたのち、これらを飯田橋職安に提出する。飯田橋職安においては右各書類の提出を受けた場合、審査確認のうえ受理し、事業主に②③⑤の書類を返却する。事業主はそのうち⑤の離職票を離職者に交付する。ただし、事業主との接触を好まない離職者の場合には離職票は事業主に交付せず、同職安に出頭した離職者に直接交付することもある。

八  《証拠省略》を総合すると、次の各事実を認めることができ、《証拠省略》中右認定に反する部分はその余の右各証拠に照らし措信できず、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

昭和四五年九月二八日に被告会社を退職した原告は、失業保険金受給のため、同年一〇月一六日被告会社本社人事部に電話して離職票の至急交付を求め、被告会社では直営センターの毎月の人事資料は毎月二〇日(直営社員一種及び二種の給料支給日)過ぎに本社に送付される扱いであった関係で、右電話があった時には原告の退職に関する資料が未だ本社に届いていなかったが、電話を受けた人事部職員は、原告が急いでいたため早急に手続をすべく、所定事項の記入をしないままの離職証明書、同事業主控及び離職票の三連複写用紙一組を、確認印押捺のうえ返送するよう求める手紙と同封して、即日原告に郵送した。

右書類の送付を受けた原告は、同月一九日被告会社人事部に電話し、応待した同部職員鶴見某に対し、記載されるべき離職理由に問題があり内容記載のない用紙には確認印を押捺できない旨を告げ、退職理由は「自己都合退職」ではないが失業保険金を早く受給したい旨述べ、鶴見から「自己都合退職」とすると待機期間の受給制限を受けるおそれがあり右受給制限を受けない「業績不振による退職」とするのはどうかなどと意見を述べる応答がなされ、その際原告は翌二〇日に被告会社人事部を訪問することを約した。

翌同月二〇日原告は、人事部を訪れ課長代理渡邊政照に面会し、「業績不振による」との離職理由は承服できない旨告げた。

渡邊は、前日右電話応答の報告を受け直ちに直営センターに事情を照会して被告会社から原告に退職を勧奨した旨を聞いており、また待機期間の受給制限を免れる考慮もあって、面会した原告に対し、離職理由を「事業主の勧奨等による任意退職」としたい旨告げるとともに、部下職員に指示して右の離職理由その他の所定事項を前記①ないし⑤の離職証明書等複写式用紙に記入させたうえ、これを原告に提示し、原告は検討する旨返事してこれを預かり帰った。

同年一一月四日原告は被告会社を訪問して渡邊に面会し、その際原告は右用紙に被告会社の社印の押捺がないことにつき抗議し、渡邊は、原告が前記離職理由等の記載事項を承認するか否か不明のためである旨未捺印の理由を説明するとともに、早急に承認するか否か返事するよう求め、原告はこれを約束して帰った。

その後原告は、「事業主の勧奨等による任意退職」とは非行のあった被用者に対する懲戒免職を意味する慣例用語であると考えて右離職理由を拒否することとし、同年一一月九日差出の内容証明郵便をもって被告会社に対し、事業主の退職勧奨を受けたことがない旨主張し右離職理由は納得できない旨通告した。

そこで、渡邊は、飯田橋職安に取扱い方法を照会し、同職安担当者事業所第二課得喪第二係長門田隆史の指示に従い、同月二六日に同職安に原告と参集し同職安担当者を交じえて協議のうえその場で手続をとることとし、その旨原告に提案しており、また待機期間の受給制限を免れる考慮もあって、面会した原告に対し、離職理由を「事業主の勧奨等による任意退職」としたい旨告げるとともに、部下職員に指示して右の離職理由その他の所定事項を前記①ないし⑤の離職証明書等複写式用紙に記入させたうえ、これを原告に提示し、原告は検討する旨返事してこれを預かり帰った。

同年一一月四日原告は被告会社を訪問して渡邊に面会し、その際原告は右用紙に被告会社の社印の押捺がないことにつき抗議し、渡邊は、原告が前記離職理由等の記載事項を承認するか否か不明のためである旨未捺印の理由を説明するとともに、早急に承認するか否か返事するよう求め、原告はこれを約束して帰った。

その後原告は、「事業主の勧奨等による任意退職」とは非行のあった被用者に対する懲戒免職を意味する慣例用語であると考えて右離職理由を拒否することとし、同年一一月九日差出の内容証明郵便をもって被告会社に対し、事業主の退職勧奨を受けたことがない旨主張し右離職理由は納得できない旨通告した。

そこで、渡邊は、飯田橋職安に取扱い方法を照会し、同職安担当者事業所第二課得喪第二係長門田隆史の指示に従い、同月二六日に同職安に原告と参集し同職安担当者を交じえて協議のうえその場で手続をとることとし、その旨原告に提案して承諾を得た。

同年一一月二六日飯田橋職安において原告、渡邊及び門田係長の三者が会談し、その際、原告は、入社後の労働条件が入社前に受けた説明と相違することが退職の理由である旨主張したが、その相違の具体的内容までは説明せず渡邊が「事業主の勧奨等による任意退職」の離職理由を選んだことを強く非難したので、渡邊は離職理由を変更してもよい旨述べ、門田も離職理由は職権でも訂正できる旨説いて、手続を進めようとした。

しかし原告は、別途に確認請求をする旨主張し、この協議に応じないとの態度に出た。

そこで門田は原告からの事情聴取により受給資格の確認をしようとし、すでに同年六月四日被告会社から提出されていた失業保険被保険者資格取得届を机上に出したところ、原告は、これを見て突然、同届書の被保険者確認印欄に押捺してある原告の印影が偽造であると言い出し、かねて相談していた鈴木圭一郎弁護士に電話で報告するため右取得届を携えて席を立ち、同弁護士と通話して席に戻ったうえ、同弁護士の指示により私文書偽造の証拠物件として持ち帰る旨宣言して右取得届を返還しないまま門田の制止を振り切って帰った。

そのため、遂に当日の協議による解決は果たせないままに終り、被告会社は即日、原告の捺印を得ないままで資格喪失届や離職証明書等前記の手続書類を同職安に提出した。

その後原告は、同年一二月二日差出の内容証明郵便をもって被告会社に対し、同職安に原告自身で離職票交付を請求するので離職証明書を交付されたい旨要求し、これに対し被告会社は同月七日、すでに同職安に手続書類を提出済みであるとの趣旨を返信した。

さらにその後、原告から被告会社に対する、同職安から手続書類を取り戻して送付するよう要求する書信、被告会社から原告に対する、すでに受理された書類の送付はできない旨及び前記のように原告が持ち返った資格取得届を同職安に返還されたいとの同職安からの伝言をする旨の返信が交換された。

その間、門田係長から数回にわたり鈴木弁護士に対し抗議や協力要請の電話連絡がなされ、原告は、門田には告げずに他の同職安職員に交付して前記資格取得届を同職安に返還し、右返還を知った門田は、離職票を直接原告に交付する準備をととのえたうえ、原告から事情聴取して受給資格の有無等につき確認すべく、原告に対し同年一二月二六日に出頭するよう求める連絡をし、これに応じ同日原告は同職安に出頭して門田係長と面接した。その際原告は、被告会社提出の離職証明書は一切認めない旨述べ、前記の被告会社提出にかかる門田保管の離職証明書、同事業主控及び離職票用紙の三連複写綴を門田の制止を排して持ち去った(原告は掠め盗ったと自ら主張する。)。そのため、門田は手続を進めることができなくなった。

原告は昭和四六年四月九日に至って右持ち去り書類を同職安に持参し、離職票の交付を請求したので、門田係長は、資格喪失届及び離職証明書に原告の確認印を得ることができないまま、離職票を作成して原告に交付し、その後、これを原告住所地所轄の川越公共職業安定所に至急提出し離職理由に問題があるならばその旨同所係官に説明するよう教示した。

原告は、右離職票を同安定所に提出して受給手続をし、同月二三日「正当な理由のある被保険者の都合による退職」の区分に該当するとされて受給資格が決定され、同月三〇日から失業保険金を支給されるに至った。

(なお、原告と被告会社との間においては、請求原因第5項(一)の事実、昭和四五年一〇月二〇日及び同年一一月四日の二回にわたり原告は被告会社において渡邊課長代理と面談し、渡邊は、原告に退職理由を「事業主の勧告等による任意退職」としたい旨告げ、手続書類に捺印のうえ提出するよう促したこと、請求原因第5項(五)の事実、及び同月二六日の飯田橋職安における協議の日の後日に内容証明郵便で原告から被告会社に対し離職証明書の交付を求め、被告会社が拒否する返信をしたことは争いがなく、原告と被告国との間においては、昭和四五年六月四日被告会社の提出した資格取得届が飯田橋職安に受理されたこと、同月二六日同職安において原告、渡邊及び門田係長の三者が面会し、その際原告が右資格取得届を見て原告の確認印を偽造であると主張したこと、右同日被告会社が同職安に資格喪失届を提出したこと、同年一二月二六日職安訪問の際原告は門田係長が資格喪失届に確認印を押捺しないことを非難して押捺を要求し離職証明書を持ち去ったこと、昭和四六年四月九日原告が同職安に赴き資格喪失の確認請求書を読み上げたこと、及び同日それまで確認のないまま門田係長が預かり保管していた資格喪失届が受理され離職票が原告に交付されたことは争いがない。)

九  以上の事実関係によれば、前認定のとおり被告会社から勧奨を受けて退職した原告につき、被告会社の渡邊課長代理が失業保険金受給手続における離職理由を「事業主の勧奨等による任意退職」として処理したことは正当であり、右受給手続が遅延したことは、右離職理由に関する紛争その他交渉の経過において、徒らに対立感情に走り円満な話し合いをしようとせず些細のことにも理屈をつけ手続書類を持ち去るなどして緊張関係を生じさせ受給資格確認のための門田係長の事情聴取等確認作業にも協力せず順調な手続の進行を妨げた原告の態度に起因するものであり、手続交渉の過程において渡邊ら被告会社担当者にも被告国の担当者門田係長にも手続遅滞の責を帰すべき不法行為があった事実は証拠上認めることができない。また、右離職理由が非行のあった者に対する懲戒免職の意味を有するものでないことは明らかであり、右の意味を有する慣例的用語であるとする原告の見解は独断であるから、この離職理由を付せられたことにより原告の名誉が毀損されたこともないというべきである。

一〇  よって、被告会社の被用者並びに被告国の公務員の不法行為を原因とする原告の被告両名に対する本訴各請求は、いずれも前提を欠き理由がないから、これを失当として棄却すべきものとし、民事訴訟法八九条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺惺 裁判官 手島徹 藤山雅行)

〈以下省略〉

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